今井信郎 屋敷跡

「竜馬を切った男」今井信郎 屋敷跡(島田市阪本)

二人の刺客が、一人は「コナクソ」と叫び、中岡の後頭部に斬り付け、一人は竜馬の前額部を深く一太刀払った。脳漿が流れ出るほどの深手である。竜馬は身を退いて床の間に置いてあった刀(吉行二尺二寸二分)を取ろうとして、後ろ向きになり、二太刀深く右肩から左の背骨に掛け、大袈裟を浴びせられた。」「新選組始末記」

案内板

案内板

今井信郎(のぶお)と聞いて、「元京都見廻組で坂本龍馬暗殺犯の一人・・・」と判る人はかなりの歴史通だろう。
竜馬暗殺に関しては諸説あるが、今ではほぼ京都見廻組が犯人とされている。
その実行犯の一人とされる今井信郎は、戊辰戦争で囚われの身となり、その後西郷隆盛の口添えにより特赦として釈放。
以後、静岡県榛原郡初倉村(現島田市初倉)に帰農し村長を務めたという。
同じ静岡に住んでいながら最近までこの事実を知らなかった私は、今井信郎屋敷跡が現存することを知り訪ねてみた。

島田市阪本は、旧徳川幕臣が開墾したと言われる牧之原台地の東端に位置し、大井川を望む茶園が広がる地区だった。
屋敷跡は観光地として整備されていないらしく、近くには案内板もなければ目印になるような建物も少ない。農道を迷いながらも何人かの農夫に訪ねながら、車一台がやっと通れる道を進んだ谷(丘陵の谷間を「や」と呼ぶ)の最深部に屋敷跡を見つけた。
三方を山に囲まれ、静寂を破るセミの声だけがこだまするその場所には、屋敷の石垣しか残っていなかったが、簡単な案内板と石碑、歌碑が立てられている。

今井邦子歌碑

今井邦子歌碑

歌碑

歌碑


石碑

石碑

村長まで務めた今井が「なぜこんな不便な谷に家を?」の疑問が浮かんだが、その理由は案内板に記されていた。

今井信郎は静岡に居を移してもなお、竜馬を切った男として刺客を恐れるが故に、三方を山に囲まれた奥深い谷間で常に刀を置いて居を構えていたらしい。

 

来る途中に近くで作業をしていた方に屋敷跡と今井信郎のことを訪ねてみたところ、偶然にも屋敷跡の管理をされている地主の大塚靖郎さんというご親切な方で、地元でもこの屋敷跡を観光地として整備し、四季折々の花木とともに島田市の新名所としたい意向があるとのことをお聞きした。

邸宅跡遠景

邸宅跡遠景

竹林

竹林

邸宅跡

邸宅跡

私も仕事柄、京都へ行った際は幕末にスポットをあてた霊山(りょうぜん)歴史資料館や隣接する坂本龍馬と中岡慎太郎墓所を何度も訪れるほど幕末の歴史に興味があったが、まさかこんな近くに関連する史跡があったとは知らなかった。

坂本龍馬はいまだに尊敬する歴史人物の上位に挙げられるが、その竜馬を切った男は悪役であり人気がないのは判る。

しかし、歴史通でなくても誰もが知っている坂本龍馬暗殺事件を違う側面からスポットをあてた観光地があってもいいと思う。

 

司馬遼太郎の小説や歴史好事家により、昭和初期まで無名だった坂本龍馬がいつの間にか人気歴史人物になったように、今井信郎の人生も“暗殺者”の汚名から始まり最後は村長としてキリスト教の教義に感銘を受け、クリスチャンとしていろいろな事業(榛原高校の前身も設立したらしい)に貢献した事実を広めれば、もしかしたら今井信郎の歴史評価も高まるのではないでしょうか。

 

 歴史人物は後世の評価で人間像が決定されるが、今井信郎の汚名返上と再評価のためにも

官民一体となって顕彰する必要があると思います。

 

◎余談ですが、京都にある霊山歴史資料館には「竜馬を切った刀」が展示されています。

 興味ある方は是非坂本龍馬・中岡慎太郎墓所と一緒に訪れてみて下さい。