モンゴル国パラリンピック選手団が帰国

見送る市長

見送る市長


モンゴル スリーレター折り鶴.

モンゴル スリーレター折り鶴.


焼津市が受け入れたモンゴル国パラリンピック選手団が6日成田空港から無事臨時便で帰国した。
開催自体が危ぶまれるコロナ禍で始まった東京2020オリンピック・パラリンピックは、多くの混乱により国からの受入対応指示が開幕直前まで変更されるという事態が生じたものの、大きな事故もなく9月5日に幕を閉じた。
モンゴル国のホストタウンになっている焼津市は、2015年に事前キャンプに関する覚書(基本合意書)を締結し、リオデジャネイロオリンピックが開催された2016年から受け入れを開始、翌2017年から本格的に東京オリンピック・パラリンピックに向けての事前合宿が始まった。
以降、冬にはー30℃にもなるモンゴルで練習できないレスリング、パラ陸上、パラテコンドーなど毎年焼津市を訪れ東京大会に向けての事前合宿をおこなってきた。
その間にも少年レスリングや高校生ソフトテニスなど数多くの相互交流を重ね、5年に渡る信頼関係を築いてきただけに、大会が終わっても焼津市とモンゴル国との信頼関係は揺るぎないものになっていった。
来日する選手たちも焼津での生活に慣れはじめ、次第に「実家にいるような雰囲気で練習が出来る」などと話し、大会前には「焼津でよかった」「焼津市のために頑張る」と感謝と気概を見せてくれた。
過去5年間を見てきた私もオリンピック期間中はもちろんモンゴル選手団を応援し、これまでの市役所オリ・パラ担当職員の皆さんの気づかいとご苦労、おもてなしを振り返った。合宿の練習に毎日同行し、休日には市内外の観光地を案内し、市内の学生や市民交流をアレンジ・アテンドする姿には感動すら覚えたものだ。
人間は肌の色の違いや民族・宗教・言語の違いで様々な争いが生じている。アイデンティティーに疎い私たち日本人には理解できないような問題が国家紛争となり多くの犠牲者が出ている事実に私たちは何をしなければならないのかを平和の祭典オリンピックは問いかけ、パラリンピックは可能性を投げかける。
コロナ禍で延期された今大会は開催の是非まで問われた記憶に残るオリンピックになったが、私的には開催に執着し何としても成功させなければならないという政府判断はプロセスも結果的にも正しい判断だったと思う。
バス出発

バス出発


大会を終えて焼津市内のホテルを出発し帰国する選手たちは、毎日キツイ練習に耐え、ハンディキャップを乗り越えて自分と自分を支えてくれた人(焼津市民・職員)や街(焼津市)のために戦った。
バスに乗り込む彼らの姿に少し勇気をもらった気がした。