天安門事件から32年

天安門

天安門

国家は我々の国家である

人民は我々の人民である

政府は我々の政府である

我々が叫ばなければ、誰が叫ぶのか

我々がやらなければ、誰がやるのか

我々は行く、ゆかざるを得ないのだ。歴史はそう我々に求めている。

天安門前広場

天安門前広場

1989年5月13日に北京大学ハンスト団全学生が表明したハンスト宣言の一節である。文書は天安門事件の扇動者として投獄され、獄中で中国人初のノーベル平和賞を受賞しながら一度も釈放されることなく2017年に死去した劉暁波の手になるものと言われている。
この宣言から数日後、あの忌まわしい天安門事件が起こり多くの学生たちの命が失われた。
残念ながら64と言われる天安門事件は人民解放軍によって武力鎮圧され何も変わることはなかったが、彼らの歴史を変えようとした意気は全世界の人々の心に残った。
劉暁波の博士号取得論文は『美学と人間の自由』であった。
順風満帆だった彼の人生のすべてをなげうってまでも「人民の自由と民主化」を要求したのは恐らく一人の人間としての美学であったに違いない。

2019~20年、人民200万人が参加した「香港民主化デモ」も一国二制度を反故にし施行された習近平政権による「香港国家安全維持法」により多くの人民が逮捕され鎮圧された。3人以上の集会は逮捕するという条例まで発令された今年は、天安門事件の犠牲者を追悼する集会も出来ず、事件を風化させてはならないと作られた施設「六四記念館」も今月1日に休館に追い込まれた。
 今年7月に中国共産党血統100周年を迎える中国政府にとって、天安門事件も香港民主化運動も不都合な真実なのだ。
ちなみに天安門事件記念館(六四記念館)を中国のサイトで検索すると「見つかりません」と表示され、違う方法で検索すると「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」がヒットした。
いわゆる「南京大虐殺記念館」だ。
 自国の不都合をスケープゴートするに日本はちょうど都合がいいのかもしれない。
中国が大国として世界から認められたいと思うのなら、コロナ問題を含め世界から尊敬されるような国にならなければいけない。
それには劉暁波に習い「国家としての美学」を学ぶべきである。
 天安門事件から32年。世界はあの悲劇を忘れてはならない。