戦争と平和
帝政ロシア末期の文豪トルストイは小説『戦争と平和』の中でこう述べている。
“戦争は最も卑しい罪科の多い連中が権力と名誉を奪い合うことだ。善良と正義のないところに偉大はない”
いま世界はロシア(プーチン)によるウクライナ侵攻を怒りと共に嘆き悲しんでいる。
罪なき子供らを巻き込み、善良な市民を国外避難させるような正義なき戦争は誰も幸せにすることはない。
同時に先週末には習近平総書記の開会宣言で“平和の祭典”北京パラリンピックが開幕した。
まさに戦争と平和が同時に進行している。
トルストイの小説『戦争と平和』は登場人物559人という大作で、難解なストーリーとして有名だが、簡単に言えばフランスの皇帝ナポレオンとロシアの民衆の戦いを描いている。
自分たちの生活(4つの貴族家庭を中心にストーリーは展開する)を脅かす外敵ナポレオンに抵抗する戦いを通じて、ロシア市民一人ひとり(559人)の言葉で戦争と平和と愛が語られてゆく。
エピローグは戦いに敗れたフランス軍は敗走しロシア市民は荒廃したモスクワに戻り平和を取り戻してゆく。今回のプーチンによるウクライナ侵攻とは真逆である。
プーチンは自国の名作『戦争と平和』という立派な教科書がありながら何故あのような暴挙に出たのだろうか。
私にはプーチンの暴挙は「老害」にしか思えない。権力を手にした独裁者は常に何かに怯え正義もなく敵を攻撃し安心感に満たされる。まさに今のプーチンが老い衰えることに恐怖を感じ、自国民の平和を脅かしてでも権力にしがみつき起こした行動と思う。
そうでなければ原子力発電施設など爆破できるはずがない。
夜、帰宅してテレビのスイッチを入れるとウクライナ情勢の報道番組とパラリンピックのニュース、そして平和ボケした日本ならではのバラエティー番組合戦。
悪いとは言わない。しかし戦火にさらされ爆撃を受ける街や逃げまどう子供らの映像が流れる一方で平和の祭典パラリンピック映像、そしてお笑い番組。
子どもが流す悲しみの涙と障害があっても頑張った感動の涙を一緒にしてはならない。
トルストイは『戦争と平和』の中で
“誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない”
という。
プーチンにしても習近平にしても、そして私たちも、もし世界を変えようとするなら正義を持って自分を変えなければならない。善良と正義がないところに偉大はないのだ。
私たちが今の状況を遠い海外で起こった争いごとと見過ごせば、世界各国の対応を見極めた習近平は必ず台湾に食指を伸ばす。虎視眈々と情勢を見ているのが中国共産党なのだ。
世界中の人々が他人を思いやり、そして指導者が勇気と正義を持つことが出来たならば『平和の炎』は初めて一つになることが出来るだろう。
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