諏訪原城跡(島田市)

本曲輪から島田方面を望む

本曲輪から島田方面を望む


金谷坂(旧東海道石畳)

金谷坂(旧東海道石畳)


案内版

案内版


諏訪原城(すわはらじょう)は静岡県島田市金谷にある戦国時代の山城です。
甲斐(現山梨県)の武田氏が当時徳川方だった高天神城(掛川市)攻略のため築城し、その後徳川家康によって改修されたと言われる戦国時代を語る上で大変重要な山城の一つになっています。
諏訪原城ビジターセンター

諏訪原城ビジターセンター


総曲輪

総曲輪


大手曲輪から総曲輪を望む

大手曲輪から総曲輪を望む


二の曲輪北馬出

二の曲輪北馬出


古城巡りが好きな私が諏訪原城を初めて訪れた数十年前はまだ整備もされていなく、ビジターセンターはもちろんのこと歩道もトイレないばかりか、杉林と茶畑の中でこのあたりに何となく曲輪(くるわ ※注1)の名残が見られる程度でした。
 わたし的にはそれはそれで戦国時代を想像するに十分だったのですが、今回諏訪原城跡が整備されていると聞き再訪すると驚きの光景が広がっていました。
 ビジターセンターの方にお話しを聞いたところ、平成22年から発掘・整備が始まりましたが当初は杉木立の中で背丈以上の草が生い茂り、堀は腐葉土で埋まっていたため棒を使って堀や崖に落ちないようにしながら調査をしたそう。いまでも十分深い掘りなのですが戦国時代はもっと深く、高い土塁が築かれていたと言います。
 整備された曲輪はちゃんと形を留めていて、虎口(こぐち ※注2)や馬出し(うまだし ※注3)がまるで当時にタイムスリップしたかと思うほど残っていました。
 特に総曲輪は規模が大きく深く、半円形状に土塁を築いた馬出しは大阪冬の陣で徳川家康の20万の大軍を退(しりぞ)けたと言われる真田信繁(幸村)の『真田丸』を彷彿させる見事な原形を保っています(真田丸は現存していません)。もちろん真田丸は200mあったと言われているので規模的には半分ほどですが、深さは真田丸の9mに引けを取りません。
 大阪冬の陣は1614年。この諏訪原城は1590年頃には廃城になったと言われているので大坂の陣や関ケ原の合戦(1600年)より早い時期の城跡です。
 私も仕事がら(趣味も含めて)全国各地の名城や城址を見てきましたが、この諏訪原城跡ほど往時の原型を残し戦国時代にタイムスリップできる城跡はないと思います。
昨日本屋で立ち読みした「日本の名城100選」でも『土塁部門』なんと全国一位。

 今日紹介させていただいた諏訪原城跡は戦国時代や古城めぐりが好きな人は必見。そうでない方も天守閣を持つ平城(ひらじろ ※注4)とは違う戦国時代特有の山城の特徴を見ることが出来るし、隣を通る旧東海道石畳(全国で3ヶ所しかありません)を歩きながら昔の大名行列や歴史上の人物(例えば水戸黄門)が往来した当時に思いを馳せる歴史探訪のだいご味が味わえます。
 諏訪原城跡や金谷坂石畳は駐車場もありますが、JR金谷駅から徒歩で行くことが出来るハイキングコースにもなっているので、コロナ感染を心配することなく観光ができ、疲れたら近くのおしゃれな喫茶店(2軒あります)で休憩できるワールドフォースお薦めの近場観光スポットです。

注1)曲輪(くるわ)… 城や砦の周囲にめぐらせた土塁や土石の囲いのこと
注2)虎口(こぐち)… 城の出入り口のこと
注3)馬出し(うまだし)… 虎口の外側を守るために築かれた曲輪のこと
注4)平城(ひらじろ)… 平地に築かれたお城のこと。山に築かれた城は山城という