史跡・和田岡古墳群「吉岡大塚古墳」
邪馬台国で有名な女王卑弥呼が死んだとされる247年頃に始まったとする"古墳時代“。およそ400年続いたと言われ全国各地に多くの古墳が作られました。
むかし教科書で世界最大級の墳墓と習った仁徳天皇陵は今では大山古墳と呼ばれ埋葬されたのは仁徳天皇ではないとまで言われていますが、新発見が相次ぎ歴史が書き換わることは珍しいことではありません。
とくに古墳時代の「空白の150年」などと呼ばれる期間はこれからも歴史的発見(発掘)により書き換わってくると思います。
今回はそんななぞ多き古墳時代に作られた身近な古墳の紹介です。
先日、掛川市から袋井市に抜けようと田んぼや畑や茶畑を車で走っていたところ突然「吉岡大塚古墳は右折➡」と書かれた看板が現れた。小さな看板だし聞いたこともない古墳だったため一度は通り過ぎたものの、生まれつきの好奇心が沸々と沸き上がりUターン。
畑の中を走ること1~2分で見えてきたのは驚いたことに整備復元された美しく大きな前方後円墳。
5世紀ころになると確立された中央集権国家の大和政権下で地方豪族が力を持ち始め、各地に古墳が作られたというが、ここには「和田岡古墳群」として6基の古墳が点在していた。
そのうち5世紀中ごろに作られたという吉岡大塚古墳は掛川市により2007年~2014年の8年かけて発掘調査し墳丘復元図を作成した上で2023年12月に一般公開されたという。
この古墳は54.6メートル、高さ7メートルの一般的な前方後円墳に似た形状をしているが、円墳全部の方墳部分が短いホタテ型が特徴的で、古墳南側を建築当時の姿で復元し、北半分を現況のまま復元保存しています。これにより建設当時は葺石(ふきいし)で全体が覆われ、埴輪(はにわ)が置かれていたことが判り1500年の時間経過を一目で見ることが出来る古墳になっています。
復元整備された古墳はこの1基のみですが、整備された小さな小屋に置かれたリーフレットを見るとほかの古墳5基も徒歩圏内でした。
古墳マニアにとっては復元整備されていないものの方が想像を掻き立てられ魅力的なのでしょうが、一般的にみればこの吉岡大塚古墳が判りやすく、往時の姿を見られる数少ない古墳と言えます。
駐車場・トイレは整備されていて、河岸段丘上に作られているため墳丘の上からはきれいな茶畑の景色も眺められます。整備費に3億2千万円が投じられたとのことなのでもっと広く多くの人に知ってもらいたいと思いました。