静岡市歴史探訪・徳川家ゆかりの「宝台寺」
先日久しぶりに駿府城天守台発掘現場を訪れてみた。
1年前とさほど変わってはいなかったが、今後2年かけて展示方法の整備を進め市立歴史博物館の展示・戦国時代の道と石垣同様に、天守台のお堀の下に降りられるようにして家康時代の石垣に直接触れられるような「露出展示(遺構展示)」の整備を進めて行くという。

宝台院本堂
しかし今日の旅行情報は駿府城ではなく、駿府城からも徒歩で行ける静岡駅に近い「宝台寺」という浄土宗の寺院。
恥ずかしながら私自身この高台寺の存在を知らず、徳川15代将軍徳川慶喜が江戸開城から水戸で謹慎生活を送っていたのちに静岡に移された際に、有名な浮月楼ではなく最初の1年強の期間はこの宝台寺で謹慎していたという話を聞いて早速向かってみた。駿府城天守台からは徒歩15分、静岡駅から10分弱ほどの国道1号線のすぐわきにある。
もともとの本堂は国宝だったようだが、昭和15年の静岡大火により焼失したため現在は鉄筋コンクリート造りの本堂になり、区画整理で広大な境内も削られたため一見しただけでは徳川家ゆかりの寺院とは気が付かない。

徳川慶喜謹慎の地碑

広瀬アリスも参拝

西郷の局(お愛の方)墓所
境内に入るとすぐ左手に「徳川慶喜公謹慎之地」碑が見える。早速説明石碑を見ようと近づいたところすぐわきに「広瀬アリス様にご参拝頂きました!」という文字と写真。徳川慶喜どころではなくなった。説明には大河ドラマ「どうする家康」の西郷の局お愛の方役の広瀬アリス様が当山をご参拝されましたと書かれている。そしてその後ろには徳川家康公側室・秀忠公生母 西郷局(お愛の方)之墓と書かれたお墓と供養塔があった。
西郷の局は浜松時代からの家康を支え38歳の時駿府城で没し宝台寺に葬られたという。どうする家康を観ていた私はお墓を見て「ここに広瀬アリスが…」と思ってしまったが違う。実際の西郷の局本人が葬られたかと思うと感慨深いものがある。
話を本来の徳川慶喜に戻すが、明治政府から謹慎処分を受けていた慶喜は旧幕臣と会うことはめったになかったようだが、時には勝海舟、渋沢栄一、山岡鉄舟、高橋泥舟などが宝台寺に訪れたという。
徳川慶喜旧宅としては現在浮月楼が有名ですが、今回の宝台院やその後移り住んだ西草深(浅間神社の近くで現在は石碑のみ)など30年余りも静岡市で暮らしていただけに、静岡市の人が慶喜公を「けいきさん」と呼び親しんだという理由が判った気がした。
今回は開館時間の関係でみられませんでしたが、宝台寺には宝物館もあり拝観料500円で家康自画像や真筆の書など多くの寺宝を見ることが出来るようです。


