戦争の記憶【遠江射場】

池新田トーチカ

池新田トーチカ

ロシアによるウクライナ侵攻が止まらない。世界中を敵に回してもウクライナを陥落させようとするプーチンの狂気は民間人の虐殺(ジェノサイド)にまで至った。
戦争はいつの時代も狂気に満ちている。
今日はそんな悲惨な戦争を忘れることなく平和への教訓として、戦争の記憶として保存活動が始まった遠江射撃場遺構のお話しをしたいと思います。

昭和15年(1940年)、日独伊三国同盟が締結され日本がますます戦時色が色濃くなった頃に『遠江射場』は造られました。
射場とは現在の掛川市浜野地区から御前崎市池新田附近に至る直線距離約9Kmに渡り建設された大砲の発射試験施設で、火薬の量を調節しどの程度の距離が飛ばせるかを試験していました。

指令所

指令所

池新田トーチカ内部

池新田トーチカ内部

信管検査観的所

信管検査観的所

高射砲 砲台

高射砲 砲台

防空トンネル

防空トンネル

現在の北朝鮮のミサイル発射実験と同じですね。人を殺戮するための兵器実験施設です。
大砲を打つ試射地点(原点砲列)が浜野地区に造られ、指令所や砲弾・火薬製造工場、砲台、発電施設、宿舎、不発弾処理施設、資材運搬軌道などがありました。
試射地点から東の御前崎方面に大砲を打ち、500mあるいは1Km毎に観的所(トーチカ)が建てられ弾の着弾点を指令室に報告していたといいます。
私が子どもの頃もよく畑を耕していたら不発弾が見つかった、なんて話もよく聞いたし、小学校には信管(起爆装置)が抜かれた不発弾がたくさん保存されていました。今考えると恐ろしい話です。
戦後役目を終えた施設の大半は取り壊されましたが、いくつかのトーチカは民間に払い下げられ、軌道は静岡鉄道の軽便鉄道駿遠線としても活躍したようです。
しかしコンクリート造りの施設は塩害で劣化が激しく、壊されたり利用されずに藪に埋もれている状態でしたが、戦争の悲惨さを後世に伝え残そうと市民団体「ふるさとの自然をまもり隊」が結成され、トーチカを戦争遺構として見学できるようしました。
御前崎市で唯一残るトーチカは浜岡砂丘入口に道案内看板が建てられ、車が横付けできるように道を造り手書きの説明文が建てられ、その最後にはこのように書き記されています。

“二度と戦争が起きないように
         私たちは残されたトーチカに世界平和を願わずにはいられません“

 平和を願い周辺には桜が植えられ、トーチカは戦争遺構として第三の人生を送ることになりました。
いまウクライナで起こっている問題は、単に遠い海の向こうで起こっている出来事ではありません。私たちの住むこの日本でも両親や祖父母の時代、わずか80年ほど前まで同じような戦争と殺戮が繰り広げられていたのです。
どんなに正義を振りかざそうと美辞麗句を並べようと戦争は『悪』以外の何物でもありません。
トーチカ説明文の最後に書かれた文字がいつまでも消えることのないよう、私たち一人ひとりが平和を考えなければならない時がきています。