どうする家康大河ドラマ館 すべて閉館

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昨年から1年放映された松潤主演のNHK大河ドラマ「どうする家康」が年末に最終話を迎え、毎年話題になる「大河ドラマ館」も1月をもって3館すべて閉館した。
今回取り上げられた人物が徳川家康ということもあり、家康ゆかりの静岡市・浜松市。岡崎市は観光客誘致に熱を帯びたが、大河ドラマ館入場者数だけでみると勝負あり。
どうする家康 岡崎大河ドラマ館.

どうする家康 岡崎大河ドラマ館.

どうする家康 静岡大河ドラマ館

どうする家康 静岡大河ドラマ館

 浜松市は目標を大きく超える64万人。岡崎市も60万人を超えてきた。しかし目標を50万人とした静岡市は予想が外れ28万人の来場者に留まり「どうした家康」になってしまった感がある。
しかしこの結果は当然だ。
理由は大河ドラマの名前「どうする家康」が証明している。
幾たびの岐路(合戦)に立たされた家康が居たのは岡崎と浜松。静岡は人質となっていた竹千代時代の「どうにもできない家康」と天下を取った後に大御所として移り住んだ「どうもしなくてもいい家康」時代だからだ。
 当然大河ドラマのストーリーもほぼ三河と浜松が舞台だから仕方がない。
大河ドラマ館自体は毎年例外なく既存の建物を利用した付け焼刃的なものなのだが、今年の浜松は浜松城北側に新築し、岡崎は岡崎城内にある通常でも有料施設の「三河武士の館」をリニューアルする力の入れようだった。
反対に静岡市は浅間神社境内にあった古い資料館を改装してオープンしてしまった。なぜ一昨年オープンした立派な「静岡市歴史博物館」を使わなかったのかと残念に思うのだが、そこはきっと大人の事情というのがあるのだろう。
 
 私もこれまで何十回と大河ドラマ館を見てきたが、入って5分後に出てきてしまうようなお粗末なドラマ館も数多くあった(特定はしない)。
しかし今年の岡崎大河ドラマ館は規模、内容、展示品すべてにおいて抜きん出ていたと思う。
通常の「三河武士の館」だけでも見応えがあるのに、ドラマのストーリーそのままに展開する導線や最新式のジオラマなど見る物を飽きさせない展示や過去には不可だった写真撮影さえも自由という大盤振る舞いだった。

 今回は残念な静岡大河ドラマ館の話をしましたが、それは今回の大河ドラマに限ってのこと。静岡(駿府)は家康にとっては大切で忘れられない場所であったことは間違いありません。それは大御所になって駿府に移り住み終焉を迎え、久能山に祀られていることが証明している。
浜松にも岡崎にもすでに家康はいないが(岡崎には位牌があります)、家康は今でも「余はここに居る」と久能山東照宮から言っているに違いない。