江戸の旅が蘇る 豊橋市二川宿本陣

二川本陣リーフレット

二川本陣リーフレット


今日は東海道五十三次の33番目の宿場町、豊橋市二川に現存する二川宿本陣と隣接する旅籠・晴明屋を紹介します。

 江戸と京都を結ぶ東海道には53の宿場町がありました。
江戸日本橋から終点の京都三条大橋までの距離は約492Km。いまでは新幹線を使えば2時間半で行けますが当時はもちろん徒歩で約15日前後かかったそうです。
 道も悪く険しく、草履で1日35Kmを歩いた昔の人は凄い!の一言。私が1日10Kmのウォーキングしただけで晩には足腰が立たなくなるのとは大違いですね。

旅籠屋「清明屋(せいめいや)」 蝋人形

旅籠屋「清明屋(せいめいや)」 蝋人形

上段の間

上段の間

 そんな東海道の宿場町であった二川宿には、2ヶ所しか現存していないお殿様や公家などが泊まった「本陣」と呼ばれる宿があります。
 東海道本線二川駅から東に1Km。東海道宿場町の面影を残す細い道沿いにあります。
隣には庶民の宿であった旅籠・晴明屋もあり、大名や公家が参勤交代で泊まった本陣と庶民の旅籠(とは言えこの晴明屋は参勤交代に付いた上級武士も泊まったそう)との比較が出来るのが魅力です。

二川本陣 (上湯殿)

二川本陣 (上湯殿)

大名の雪隠(小)

大名の雪隠(小)

大名の雪隠(大)

大名の雪隠(大)

旅籠屋「清明屋」の雪隠(小)

旅籠屋「清明屋」の雪隠(小)

旅籠屋「清明屋」の雪隠(大)

旅籠屋「清明屋」の雪隠(大)

特に私が興味を持ったのが「湯殿(お風呂)」と「雪隠(トイレ)」。

さすが殿さまが使うお風呂とトイレは立派な造りで、トイレは大小別の畳敷でおそらくオマル式。二川本陣にはなかったが畳敷きに持ち運び可能なオマル式だったため中には漆塗りの豪華版オマルなども存在したと言う。反対に庶民が泊まった旅籠の上級武士の雪隠は板葺きの汲み取り式。今でいうSDGs式です。

お風呂に関しては当時の資料が極端に少ないため諸説あるようですが、一般的に「湯あみ」と呼ばれたのが現在のようなバスタブ型だったらしく、今でいう「お風呂」は当時サウナ型だったと言われます。

私の認識では天皇の沼津御用邸や名古屋城御殿などほぼバスタブ(風呂桶)のない単なる板張りのサウナ室だったので、当時の大名などは風呂桶には入らないと思っていたがこの二川本陣にはちゃんと風呂桶が完備されていました。やはりお殿様も長旅の疲れを取るには湯船につかるのが一番だったのかも知れません。

二川宿本陣には資料館も併設されていて、当時の宿場町や参勤交代の様子をわかりやすく知ることが出来ます。また徒歩1分ほどのところには商家「駒屋」も当時のまま整備されていて地元のお土産を買ったり、スィーツカフェなど含めると二川宿観光にはたっぷり2時間は取りたい宿場町です。

二川本陣の定休日は月曜日。入館料は大人400円、小・中・高校生は100円で、半券を見せるとカフェで100円引きの特典があります。

駐車場は無料で100台分あります。

東海道では2ヶ所しか現存しない本陣。見てみたいと思いませんか?